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  • 執筆者の写真isakonju

海外ブランドの本社VMDになるまでの道のり➀~大学生編~  by VMD 会社

更新日:2023年8月3日

〖どうやって海外ブランドのVMDになったの?〗〖なぜVMDになったの?〗

私が独立してからも、海外ブランドで勤務していた頃にも外部のお客様や販売スタッフによく聞かれた質問でした。そもそもVMDって言葉自体を普段の生活の中でなかなか聞くことがないですよね。ではどうやってVMDを目指していったかを書いていきます。


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大学三年生の終わりの頃、周りは就活や仕事の話をしていました。就活セミナーに参加したり、企業セミナーに参加したり、皆努力しますよね!私は特に就きたい仕事、夢らしい夢がなく、何をするか何も決めていませんでした。(遅い、もっと焦ろww)

安定の公務員や給料のよさそうなテレビ局がいいのか、大手企業を目指すのか。。。自分がそこで働くイメージをしてみるとどうも楽しくありません。上司の命令を聞いて、確認して、書類をつくって、毎日同じような仕事をして、電車に揺られて、、、違うな。自分は絶対に飽きる!と思いました。

(現在では、公務員の方や企業で継続して働くこと、働く方たちを本当に尊敬しています。社会人になり働いてから理解できるようになりました。)

ある日ふとした時に、姉からVMDって仕事があるらしいよ。って言われて、ピンときて、〖これだ!!〗そう思いました。



“夢に向かって、VMDになる!!!”


もともと誰かに相談することは少ない方だったと思います。自分の事は自分で決める!は、学生時代からそうしていたように思います。

外資のVMDなのか国産ブランドのVMDになるのがいいのか考えたときに、外資の方がスケールも高く、学べることが多いかなと思い、外資ブランドに行くことを目標にしました。


〖自分がしたいことをするには上にいくしかない〗

〖外資で上にいくには英語が必要〗

〖VMDとして就職するには何が必要か〗


この3つを考え、色彩検定と色彩心理の勉強を始めながら、留学することを決めて動き始めました。大学の外部授業でたまたま色彩のコースがあったので受講しながら、図書館で色彩心理の本を読んだり、色彩の勉強を始めました。そもそもVMDもわからないので、全海外ブランドの路面店舗に行ってウィンドウの写真を撮影した後にそれらをスクラップして、


自分ならどうするか、改善点はどこか、自分ならどうするか


をすべてに書いていきました。色彩の勉強と同時に海外留学の行先も決めないといけないので、いろいろ探しながらカナダとアメリカに行くことにしました。

(この時点で、大学4年生でした。親にも伝えておらず就職すると思っていた両親に留学のことを伝えたときは反対されました。お金の面もね、、、ごめんね。)

当時は第一次氷河期と言われていて、大学の教授、両親、友達には、新卒扱いでないと就職できないと強く反対されていました。そりゃそうですよね、VMDはセンスを必要とするのに藝大でもなく、デザイン系の勉強もしていない普通の4年制大学生だったので。



“卒業式は不参加!留学に行く!!”


反対やなんやかんやありましたが、自分の決断を信じて進んだ結果、卒業半年前に留学先が決まりました。色彩の勉強や写真スクラップなどをしながら、試験、卒論を無事に合格して卒業内定がわかった数日後にはアメリカへ渡りました。なので、友達と一緒に卒業式にも参加せずに写真を送ってもらったり、両親も卒業式に参加したかった?のか分かりませんが、ドタバタでアメリカへ✈✈✈




In Canada


アメリカではホームステイだったので、一人で鹿児島から成田空港に行ってカナダでした。オーバーブッキングで運よくビジネスクラス♪この頃はオーバーブッキングも知らず、はい、はい、と理解もせずに言っていたはずです。

カナダの空港に到着したのが19時ごろでそこからホームステイ先まではバスに2時間ぐらい。空港のバスターミナルは巨大で多くのバスが走っていました。どれに乗るの?

ちなみにこの頃の英語力といえば、“Hi, Nancy! How are you? I am fine!

This is a pen,ぐらいのものです。※Nancyは高校の教科書の登場人物

ほんとよくこの英語力で留学に行こうと思ったものですが、それにしてもよくホームステイ先までたどり着いたなと今は思います笑

無事に目的地までたどり着いたのは23時を廻っていて、地図をみながらホームステイ先まで行きました。今でも覚えていますが、玄関のインターホンを押す時の残像があります。白人の子供が2人ぐらいいて犬のいる家族を想像していました。

玄関の扉が開いてでてきたのは、黒人のお母さん。初めての黒人にビビりました。



つづく



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